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フルマラソンを走る🏃‍♂️

  • 陽平 丸山
  • 10月5日
  • 読了時間: 3分

更新日:10月16日

 

 きっかけは、私が 30 代後半、サーフィンでの体力維持を目的に始めたジョギングだった。家の近くをただ走る。それだけだった。


 そんな中、大阪でも市民マラソンが開催されることになり、ダメもとで申込んだら、記念すべき第1回大阪マラソンに運よく当選した。エントリーしたのは、大阪城をスタートし、ゴールが中之島の 10Km。

 大会当日は、体調が悪くてどうなることかと思ったが、車で何度も走ったことのある御堂筋のど真ん中を自分の足で走り、たくさんの声援を受けてゴールした。この時に、私は、マラソンの楽しさを知った🎖️


 翌年、第2回神戸マラソンに当選し、初めてのフルマラソンに挑戦した。

 明石海峡大橋が見えたあとの 25km 地点過ぎから、足が棒のようになったが、なんとか完走できた。タイムは4:26 。


 2回目のフルマラソンは、和歌山県白浜近くの熊野古道がコースとなっている口熊野マラソンだ。

 残念ながら、左膝外側の腸脛靭帯が痛くて走れなくなり、30 ㎞過ぎの関門に時間制限で引っ掛かり、バスに収容されてしまった。リタイア者だけを乗せて走るバスの中は、重苦しい空気だった。

 後にも先にも、ウルトラマラソンも含めて、マラソン大会での唯一のDNF(リタイア)となった💦


 その後、過呼吸や貧血に苦しんだりしたが、年数と経験を積み重ね、4:15 前後をコンスタントに出せるようになった。しかし、なかなかサブ4(4時間切り)は、達成できなかった。


 そこで私は、サブ4達成のために煙草をやめ、地元泉州国際マラソンに挑んだ。

 結果、タイムは、4:02。

 サブ4まであともう少し、あと2分だった。


 泉州国際マラソンのコースは、終盤に4回、アップダウンのある大きな橋を渡る難コース。このコースで、サブ4まであと2分で走れたのだ。私は、サブ4の達成に手応えを感じ、翌月の四万十川桜マラソンを楽しみにしていた。


 しかし、世界中の人類にピンチが訪れた。コロナである。東京マラソンをはじめ、軒並み全国のマラソン大会が、次々と中止となっていき、四万十川桜マラソンも、当然、中止となった。

 今思えば、この時点が人生での走力のピークだった。あの時、走れていれば、と思わずにはいられない😢

 

 フルマラソンは、いつも旅に出る気持ちだ。いくつものエイドで、給水し、給食はその土地での名物が楽しみで、終わった後のビールが人生で一番美味く感じる👍


 令和5年 10 月に開催された四万十川ウルトラマラソンでは、初めてマラソンボランティアとして参加した。こちらが応援しているのに、走るランナーから元気・勇気をもらえたことに驚いた。

 翌年もボランティアを務めたが、やはり同じで、走る人の姿に感動した。


 初めてのフルマラソンから十数年が経ち、現在も、初マラソンの4:26からタイムから、あまり変わらず走れている。日頃から、サーフィンしたり走ったりと、運動を続けているからだと思う。


 今後、フルマラソンに出走しなくなったとしても、いつまでも軽快に走れるサーファー税理士でありたい🏃‍♂️


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