私の相棒🏍️
- 陽平 丸山
- 2024年12月22日
- 読了時間: 3分
高校1年生の夏、友達の原付バイクに初めて乗せてもらった。走り出すと回りの景色が、後ろへと流れ、今思うと、波乗りに似た感覚だ。すぐにでも欲しいと思い、16歳の誕生日がくると直ぐに免許を取った。
当時、ホンダNSR250、ヤマハTZR250、スズキRGV-γ250など、2スト(2サイクルエンジンで現在は4サイクルのみ生産)のスポーツバイクが全盛期だった。バイクを買うなら、原付バイクではなく、スポーツバイクの方がスピード感は楽しめただろう。しかし私は、スポーツバイクを買えるまでアルバイトをして、お金を貯める気がしなかった。
そして、初めての相棒は、原付バイクのヤマハジョグZを選んだ。ホンダDIOは、遅かったのだ。
18歳になると、自動車の免許を取った。
車の運転が楽しくて、原付バイクからは遠のいてしまった。時々、家から職場の税務署まで、電車より原付バイクで行く方が速かったので、寝坊した際に、原付バイクで出勤していたぐらいだ(笑)結局、署の近くに停めていて盗難に遭い、以来原付バイクには、一切乗らなくなった。
30歳の頃、税務大学校本校での研修生活を送っていると、正門近くに2輪教習所への送迎バスのバス停があることに気付いた。これは良い機会だと思い、中型2輪免許の教習に通うことにした。教習は楽しく、特にスラロームのコースは気持ちよかった。
無事に研修課程と教習課程を修了し(笑)、自宅近くのバイク屋さんで、ホンダCB400SF(スーパーフォア)の黒色を購入し、相棒となった。エンジンは、自動車で人気があった低回転と高回転でカムが切り変わる画期的なVTECエンジンだったので、全体的に吹け上がりがよくパワーがあり、更に燃費も良くなるホンダ独自の夢のような自然吸排気エンジンだった。とはいえ、所詮は400ccで、バイク屋主催のツーリングで走った高速道路では、他のリッターバイク(1000㏄以上)には、全くついていけなかった😓
それから3年後、またもや税務大学校本校での研修の機会があり、今度は大型2輪免許を取得するため、再び同じ教習所に通った。
そして、またもや無事に研修課程と教習課程を修了し、憧れであったスーパースポーツバイクのホンダCBR1000RRファイアーブレードのトリコロールカラーを購入し、新たな相棒となった。そいつは中古だったが、とてつもない速さで、2速で一瞬にして時速100㎞を超えた。私の運転技術では、性能を引き出せないことにすぐに気付いた(笑。
実は、サーキットを走ってみたいと、バイク屋さんにリミッター解除を依頼したが、その必要はなかった。既に、前所有者がフルチューン済みで、200馬力以上のパワーがあり、6速で時速360㎞まで出せるモンスターマシンだったのだ。
「どうりで目がついていかない訳だ」と納得した‼️
移住のため税理士事務所を借りる際には、相棒を置けるかどうかも大事な条件のひとつだった。移住から1年後、ようやく大阪から相棒を連れてきて、今は事務所内でいつも一緒だ💖
そして移住から2年後、ちょい乗り用に、原付二種(~150㏄)があってもいいなと思うようになった。事務所に来られたクライアントさんに、なんとなくその話をしたところ、なんと、既に生産停止されているホンダエイプ100を借していただけることになった。 乗ってみると高校生の頃に戻ったような気がした。相棒では行きにくいところも気兼ねなく入っていける。

いつまでも好意に甘えているわけにもいかないので、相棒2号として、やはり原2を購入する予定だ。もちろんホンダで車種は決めており、バイク屋の店長からも私には、そのバイクのイメージしかないとのことだ。購入したら、また報告します!車種はお楽しみに!
波がない時や春と秋の気持ちいいシーズンは、バイクを楽しみたい。そして、ゆくゆくは、車にバイクをトランポ(車内にバイクを積む)させて、トレランとバイク両方を楽しむ車中泊の旅に出てみたいなあ⛰️

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